大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和61年(ネ)1973号 判決

奈良県天理市石上町上出七六五の四

控訴人

尾村裕司

右訴訟代理人弁護士

吉田恒俊

佐藤真理

相良博美

坪田康男

東京都千代田区霞ケ関一の一

被控訴人

右代表者法務大臣

高辻正己

右指定代理人

細井淳久

浅利安弘

紅野康夫

今中一寿

河本省三

橋本稔

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金三七万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五〇年三月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを一〇分し、その一を被控訴人の負担とする。

第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し金三〇〇万円およびこれに対する昭和五〇年三月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  控訴人は、商品包装用等の紙箱の製造加工業者である。

2  控訴人は、昭和四六年分ないし昭和四八年分の各事業所得につき、別紙(一)の申告欄記載のとおり所得税の申告をしたところ、奈良税務署長(以下「奈良署長」ともいう。)は、昭和五〇年三月一日付で同更正処分欄記載のとおり更正処分(以下一括しては「本件処分」又は「本件各処分」といい、各別には「四八年分処分」という様にいう。)をした。これに対し控訴人は異議申立をし、同異議決定欄記載のとおり異議決定がなされ、更に控訴人の審査請求に基づき同裁決欄記載のとおりの裁決がなされた。

しかし控訴人は、右裁決にも不服であつたので、本件各処分の取消請求の訴え(奈良地方裁判所昭和五二年(行ウ)第八号)を提起し、第一審で請求棄却の判決を受けたが、控訴審(大阪高等裁判所昭和五七年(行コ)第三七号)は、昭和五八年六月二九日控訴人の請求を一部認容する別紙(二)記載の主文の判決をなし、その後右判決は確定した(以下これらを「本件取消訴訟」ともいう)。

3(一)  本件処分のうち各所得額の認定は、右本件取消訴訟の確定判決により確定された各年度の真正所得額と対比すると、昭和四六年分において六九パーセント、昭和四七年分において六〇パーセント、昭和四八年分において三一一パーセントの各過大認定となつている。

(二)  奈良署長(及びその命を受けた担当職員ら)は、本件処分をするに当り、控訴人の帳簿書類を一切調査せず、ただ、取引先及び銀行の反面調査によつて控訴人の申告額を上廻る収入を把握し、それが全て控訴人の所得になるものと判断(故意に断定したか、過失によつて速断)し乍ら、更に故意又は過失によりその把握した収入に見合う経費の存在に全く思いを致さず、発見した新たな収入をそのまますべて所得に計上するという暴挙を敢えてした。

(三)  右のとおり本件処分は国の公務員たる奈良税務署長(ないしその補助者。以下同じ)が何ら更正の理由がないのに、職務上の義務に違反して故意又は過失により、根拠のない見込課税としてなした違法な行政処分である。従つて被控訴人は、これにより控訴人が蒙つた損害を賠償すべき責任がある。

4  本件処分により控訴人の蒙つた損害は金三〇七万七六九〇円となる。その具体的事実は原判決事実摘示該当個所(原判決六枚目表七行目から八枚目表八行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

5  よつて控訴人は被控訴人に対し、右損害内金三〇〇万円とこれに対する本件処分日である昭和五〇年三月一日から完済まで民法所定五分の利率による遅延損害金の支払を求める。

二  答弁

請求原因1、2は認め、同3は(一)の点で行政処分として一部違法であつたことは認めるが、同(二)(三)は事実関係を否認し、その主張を争い(後記2のとおり)、同4は知らない。

三  被控訴人の主張と反論

1  本件処分は単なる見込課税ではない。

(一) 奈良署長は控訴人の本件各年分の所得税の調査のため、下記のとおり、部下職員を控訴人宅に赴かせ、事業に関する帳簿書類の提示を求めさせたが、控訴人は、これに応ぜず、調査に協力しなかつた。

〈1〉 昭和四九年一一月二二日、奈良税務署の樋口事務官は、控訴人の昭和四六ないし四八年分所得税に係る調査のため、控訴人宅に臨場したが、本人が不在であつたので、同月二七日に再度臨場する旨の書置きを残し、更に電話で右旨の約束をした。

〈2〉 同月二七日、樋口事務官は、控訴人宅に臨場して本人と面接し、事業形態、取引先、家族構成等を聴取すると共に、帳簿書類の備付状況について質問したところ、昭和四八年分については、金銭出納帳のほか、売上に関する請求書控及び経費に関する領収証が若干あることは確認されたが、昭和四六、四七年分については、本人の言によれば、既に廃棄したとのことであつた。

〈3〉 同年一二月七日、樋口事務官は、予め控訴人に取寄せを依頼してあつた銀行関係の資料を入手するため、控訴人宅に臨場したところ、民主商工会(以下「民商」という)の加藤事務局員が同席したので、結局、右資料を入手することができなかつた。

〈4〉 同月一〇日、同税務署の平林調査官は、樋口事務官と共に控訴人宅に臨場した(加藤事務局員はいなかつた。)が、控訴人の申出により、臨場調査を延期した。

〈5〉 同月一八日、同税務署の大西調査官と平林調査官は、予め約束した時刻に控訴人宅に臨場したところ、加藤事務局員が同席したので、同人の退去を求めたが、同人も控訴人も言を左右にして応じなかつたため、調査を進めることができなかつた。

〈6〉 昭和五〇年一月二〇日、同税務署の鈴木調査官と平林調査官は、控訴人宅に臨場した(加藤事務局員はいなかつた。)が、控訴人の申出により、臨場調査を延期した。

〈7〉 同月二三日、鈴木調査官と平林調査官は、予め約束した時刻に控訴人宅に臨場したところ、加藤事務局員が同席したので、同人の退去を求めたが、同人も控訴人も言を左右にして応じなかつたため、調査を進めることができなかつた。そこで、平林調査官は、控訴人に対し、売上除外の発覚していることを告知した上、翌二四日にも、電話で、所得計算上の点につき、立会人なくして調査に協力するよう説得したが、控訴人は、「民商に依頼している以上、民商の立会を認めてくれなければ、調査には応じない。」といつて拒否した。

〈8〉 同年二月一三日、鈴木調査官と平林調査官は、予め約束した時刻に控訴人宅に臨場したところ、加藤事務局員が同席し、やはり前回と同じ結果となつた。

〈9〉 同月一九日、鈴木調査官と平林調査官は、控訴人宅に臨場して本人と面接し、同席者がいなかつたので、帳簿書類の備付状況について質問したところ、控訴人は、「金銭出納帳もあり、決算・申告の基礎となつた資料もある。」旨は答弁したが、それらを提示せず、「民商の立会がなければ、帳簿書類の調査には応じられない。」旨を強調したため、鈴木調査官らは、帳簿書類の内容についてまで調査を進めることができなかつた。

(二) そこで奈良署長は控訴人の得意先、取引銀行を反面調査したところ、控訴人は南都銀行天理支店及び円泊市支店に武田みどり名義の、中京相互銀行天理支店には武田眞理子名義の各仮名預金口座を、天理農業協同組合には控訴人の娘の尾村枝里(当時二才)名義の家族名義普通預金口座をそれぞれ開設し、右各口座に控訴人の売上金額等に係る小切手等を入金していたこと、控訴人の係争年度の各売上金額(収入金額)は別表各申告額欄の収入欄記載のとおりであることが判明した。

(三) 奈良署長は、右各年度の売上金額(収入金額)から同表各申告額のとおり、売上原価および必要経費を控除して本件各処分の基礎となる所得金額を算定した。

右必要経費は、控訴人の本件各年度分の青色申告決算書(乙一~三号証)に記載の金額(但し昭和四六年分の給料賃金は修正後のもの)を全て認容したものである(従つて、本件各処分はいわゆる「推計課税」ではない)が、それには次のとおり合理性がある。

(1) 本件各年分の青色申告決算書をみると、いずれも通常必要と認められる費用の科目及び端数のある金額が記載されており、必要経費として計上することを否認すべき、特に不当あるいは異常な点は認められない。

(2) 一般に、所得を過少に申告する場合は、専ら収入金額を除外し、又は必要経費を過大に計上するのが原則的方法であり、ただ、例えば不動産売買業のように、売上金額と売上原価とが正比例する業種においては、売上除外に伴い、売上原価を圧縮することもある。しかし、控訴人のような賃加工業においては、売上除外のほか、概ね架空の人件費を計上するのが常套手段であつて、売上原価は勿論、その他の必要経費についても、所得を隠蔽するために過少計上をするということは、考えられないのが常識である。

(3) 控訴人のような賃加工業において、売上金額の増加に伴つて増加する必要経費としては、光熱費、消耗品費及び給料賃金が考えられる。

しかし、一般的には、光熱費は、領収証に基づいて正確に計上されているものであり、消耗品費は、仕入金額の中にも含まれている場合が多い。また、給料賃金については、それ自体、同業者間においても格差があり、しかも、事業主や家族の稼働が売上金額の増加をもたらすことも多いから、売上金額の多寡をみても、極端な場合でない限り、給料賃金が過少であろうと疑うことは不可能である。

(4) 殊に、必要経費については、納税者本人が、最も立証の容易な立場にあることは明らかであるところ、本件においては、前記一、のとおり、原処分担当者が、控訴人に対して売上除外の発覚していることを告知し、帳簿書類の調査に協力するよう説得して、所得計算上の弁解をする機会を十分に与えたにも拘らず、控訴人は、あくまで民商事務局員の立会を条件とすることにより、帳簿書類の調査を拒否し、必要経費について、何ら弁解をしなかつたのであるから、原処分担当者としては、控訴人が青色申告決算書において必要経費を圧縮していることなど、想像すらもできなかつたのである。

2  本件各処分が取消訴訟において一部違法とされたことをもつて、国賠法上も違法だつたとすることはできない。

(一) 国家賠償請求と課税処分取消請求における「違法性」の異同

先ず、国賠法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定したものである。(最高裁昭和六〇年一一月二一日小判決・民集三九巻七号一五一二頁)。

従つて、課税処分については、それが取消訴訟の判決によつて取り消されたからといつて直ちに国賠法上も違法であつたことになるものではなく、それが国賠法上も違法であるか否かは、課税処分に関与した公務員が、当該納税者に対して負担する職務上の法的義務に違反したかどうか、という観点から再検討されなければならない。

何故ならば、取消訴訟において判断される違法性は、課税処分の効力要件に該当する事実(課税要件事実、一般には所得)の存在のみが否定されたに過ぎないものであるのに対し、国家賠償請求における違法性の判断は、総合的な価値判断であるため、課税要件事実の存否のみならず、当該公務員及び相手方の態度、課税処分当時の状況、相手方の受けたとする損害の性質、内容及び程度その他一切の事情を総合して、当該職務行為全体の反規範性ないし反社会性の有無が問題とされなければならないからである。

(二) 国家賠償請求における課税処分の違法性の内容

次に、課税処分が、不服申立ないし訴訟により、課税要件事実の欠を理由として取り消された場合において、その課税処分に関与した公務員が職務上の法的義務に違反したといえるためには、当該公務員が、違法かつ不当な目的のために職権を濫用して課税処分をし、又は、少なくとも課税要件事実の認定が、重大かつ明白な誤認であつたことを要するものと解すべきである。

何故ならば、課税処分における課税要件事実の認定は、税務署長の調査したところにより入手された資料に基づく判断作用であるところ、税務署長の調査は、いかなる場合にいかなる行為をすべきかについて、法律に何らの規定もないのであるから、その範囲、程度及び方法その他の実施の細目については、税務署長の自由な裁量に委ねられており、また、資料に基づく判断も、法律に別段の規定がない限り、税務署長の自由な心証に任されているものと解され、従つて、右調査とそれによつて入手された資料が共に不十分であるとしても、そのこと自体は、課税処分を当然に違法ならしめるものではなく、税務署長の認定を不服とする者に対しては、課税処分の取消しを求める不服申立て及び訴訟の手続が完備されており、課税処分の迅速の要請がもたらす不都合を是正する方途もあるからである。

そして、課税要件事実の欠があつたとしても、右にいう重大かつ明白な誤認でないときは、課税処分は無効ではなく、不服申立て又は訴訟によつて取り消されない限り、適法、有効なものとして確定し、課税要件事実の誤認があることを理由としては、不当利得返還も損害賠償も請求することができないのであるから、これとの対比からすれば、国家賠償請求における違法性も、その要件の一つとして、課税処分が当然無効である程度の瑕疵を必要とするといえるからである。

(三) 本件課税処分の国家賠償法上の適法性

(1) 本件課税処分に係る臨場調査の経緯は、前1(一)のとおりであつて、奈良署の調査担当職員は、都合九回も控訴人宅に臨場し、殊に第七回目には、控訴人に対して仮名預金による売上除外の発覚していることを暗に告知して、所得計算につき、立会人なくして帳簿書類の調査に応ずるよう説得したにも拘らず、控訴人は、民商事務局員の立会排除に応ぜず、結局、「民商の立会を認めなければ、調査に応じない。」として、帳簿書類の内容を調査させなかつた。しかしてこれに対し奈良署職員が、民商事務局員の調査立会を拒否した行為自体に何ら違法性は存しない。すなわち、税務調査における質問検査の範囲、程度、時期、場所等の実定法上特段の定めのない実施の細目については、質問検査の必要があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量において社会通念上相当な限度にとどまる限り、権限のある税務職員の合理的な選択に委ねられているものであるところ、第三者の立会いは税務職員の守秘義務に反し、かつ非税理士に税理士業務を容認することになり税理士法違反の疑を生ずることからこれを認めることはできないのであるから、税務署職員が第三者の立会いを拒否することは当然の職務行為であつて、何ら違法性は存しない。また税務調査の際に第三者が立会いした場合、税務署職員がその退去を求めるに当り、退去させる根拠を告げなければならないという実定法上の定めはないのであるから、奈良署職員が加藤に退去を求めるに当りその根拠を告げなかつたとしても何ら違法ではない。

(2) 本件において問題とされている必要経費の認定については、次のとおりである。

ⅰ 本件各年分の青色申告決算書には、いずれも通常必要と認められる費用の科目及び端数のある金額が記載されており、特に不当あるいは異常な点は認められず(乙一ないし三号証)、それらは、資料があつてこそできる記載であるところ、控訴人は、それらに関する資料を作成又は保存していたのであるから、先ず、調査担当職員が同決算書の各記載を一応信用したことに、何ら不合理はない。

ⅱ 一般に、所得を過少に申告する場合には、専ら収入金額を除外し、又は必要経費を過大に計上するのが原則的方法であるが、ときには、物品販売業や不動産売買業において、売上げと仕入れがほぼ正比例することから、売上金額の除外と共に、仕入金額も圧縮することは考えられる。

しかし、賃加工業においては、売上原価が殆どないので、売上金額を除外することが多く、必要経費については、人件費等を過大に計上するのが普通であつて、それらを圧縮するようなことは考えられない。

ⅲ 賃加工業において、売上金額の増加に伴つて増加する必要経費としては、先ず、光熱費が考えられるが、一般には、領収証によつて計算するため、凡そ正確に計上されているものである。

次に、消耗品費が考えられるが、一般には、支出すれば計上するものであつて、圧縮することは考えられず、また、仕入金額との区分が不正確であるため、これに含まれることがあり、控訴人の場合も、仕入れは機械の部品のみとのことであり、それは消耗品費に相当するものであること、及び消耗品の在庫もあり得ることから、特に疑う余地もなかつた。

更に、給料賃金も考えられるが、一般には、売上金額が増加した場合、それが専ら事業主や家族の稼働によることもあるから、給料賃金は、必ずしも売上金額に正比例するものではなく、また、その金額自体をみても、同業者間には格差もあるし、控訴人の場合も、青色申告決算書の記載が詳細であり、各雇人においても順調に昇給していること、及び立地条件や仕事内容、機械の台数等からして、特に過少であるとは認められず、何ら不審な点はなかつた。

ⅳ 殊に、調査に協力する納税者は、売上脱漏が判明した場合、必要経費の計上もれがあれば、それを申し出るのが一般であるが、本件においては、前記(一)のとおり、調査担当職員が、控訴人に対して売上除外の発覚していることを暗に告知し、帳簿書類の調査に協力するよう説得して、所得計算上の弁解をする機会を十分に与えたにも拘らず、控訴人は、民商事務局員の立会いが認められないことを口実にして、帳簿書類の内容を調査させず、必要経費についても、何ら弁解をしなかつた。

従つて、控訴人が、所得の過少申告の発見を困難にさせるために、必要経費まで圧縮するという異常な行為をしていることなど、通常の調査担当職員としては、とうてい推測することは不可能である。

(3) 以上によれば、本件課税処分は、不服申立て及び訴訟において、結果的には一部が取り消されたのであるが、本件においては、当該一部の所得の欠が、課税要件の根幹についてのそれであつて、微税行政の迅速かつ円滑な運営の要請を斟酌してもなお、控訴人に対して右誤認による損害を甘受させることが、著しく不当と認められるような例外的な事情は存在せず、また、本件課税処分における所得の認定は、その当時に入手された資料、即ち本件各年分の青色申告決算書のみならず、調査担当職員の経験的知識をも考慮して、何人の判断によつても一見して明瞭に不合理である場合にも当たらず、いわんや、本件課税処分に至るまでの控訴人の態度に比較し、奈良税務署長及び調査担当職員には、何らの職権濫用もないことが明らかである。

3  損害の不存在

控訴人は、本件更正処分により損害(精神的苦痛)を受けた旨主張するが、控訴人は仮名預金をして収入金額を脱漏し、真実の所得金額を申告しておらず(昭和五八年四月一九日付け控訴人本人調書一二項・一三項)、しかも税務調査を受けるや、第三者の調査立会いを強要し、調査を拒否し続けていたのであるが、被控訴人職員が控訴人の取引銀行や得意先を反面調査していることを知り(乙第六号証)、いずれは右不正行為が暴露され申告所得金額が是正されると予知していたはずである。

したがつて、奈良税務署長から本件更正処分を受けたからといつて、控訴人が精神的苦痛を受けることはありえない。

4  消滅時効の援用

控訴人は本件処分による損害の発生及び加害者をそれぞれ本件処分の通知書を受け取つた昭和五〇年三月一日頃、或は遅くとも大阪国税不服審判所の裁決日である昭和五二年四月一五日に知つたものであるから、各同日から三年の経過により本件損害賠償請求権は消滅時効が完成している。即ち、

(一) 本訴請求の原因において控訴人の主張する不法行為は、本件課税処分であり、その行為者は、奈良署長である。

ところで、民法七二四条にいう「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」とは、単に損害を知るに止まらず、加害行為が不法行為であることもあわせ知ることを要するが、その不法行為であることは、被害者が加害行為の行われた状況を認識することにより、通常、容易に知ることができるのである。また、その行為の効力が別訴で争われている場合でも、別訴の裁判所の判断を常に待たなければならないものではなく、更に、被害者が不法行為に基づく一定範囲の損害の発生を知つた以上、その当時、その損害との関連において当然その発生を予見することが可能であつたものについては全て加害者においてその認識があつたものとして、民法七二四条所定の時効は、右一定範囲の損害の発生を知つた時から、右予見可能な全損害について進行を始めるものと解すべきである(最高裁昭和四三年六月二七日一小判決・訟務月報一四巻九号一〇〇三頁)。

これを本件についてみると、要するに、控訴人は、本件課税処分により損害を受けたと主張し、本件課税処分が、所得を過大に認定したものであり、必要経費の調査を怠つた見込課税である、と主張するのであるが、もし仮にそうであるならば、控訴人は、仮名預金によつて売上金額を隠蔽すると共に、故意に必要経費を圧縮し、それらに基づいて確定申告書を提出していたばかりか、本件課税処分以前に仮名預金が発覚していたことも知つていたのであるから、そして、大部分の実額を算定し得る帳簿書類を作成、保存していたというのであるから、本件課税処分において認定された所得金額を見れば、直ちにそれが過大であることを容易に知り、又は知り得た筈であり、また、その行為が奈良署長であることも、一見して明白である。

(二) よつて、控訴人主張の各損害については、次のとおりである。

(1) 慰謝料について

前記3の事実から、控訴人は、本件課税処分のあつた昭和五〇年三月一日頃、控訴人主張の損害及びその加害者につき、被控訴人に対する賠償請求が事実上可能な程度にこれを知つたものというべきであるから、控訴人主張の慰謝料請求権は、右同日頃から三年間の経過により時効消滅した。

(2) 得意先喪失による営業損失について

まず、本件課税処分自体によつて得意先を喪失することは、到底、あり得ない。

そして、売上先に対する反面調査については、それが違法であるという理由につき、何ら主張・立証がないが、もし仮に反面調査による損害があつたとしても、控訴人は、売上金を入金した仮名預金が発覚したことを知つていたのであるから、当然にその売上先に対する調査があることも知つていた筈である。従つて、控訴人は、遅くとも本件課税処分があつたことを知つた時には、控訴人主張の得意先喪失を予見し、又は予見し得た筈であるから、控訴人主張の営業損害の賠償請求権は、前記(1)と同じく、昭和五〇年三月一日頃から三年間の経過により時効消滅した。

(3) 弁護士費用について

本件課税処分の取消訴訟に係る弁護士費用は、同訴訟の提起が委任された時に約束されたものであるから、その賠償請求権は、遅くとも控訴人が右訴訟を提起した日(昭和五二年七月一四日)から三年間の経過により時効消滅した(参考、最高裁昭和四五年六月一九日二小判決・民集二四巻六号五六〇頁)。

なお、本件訴訟に係る弁護士費用は、前記(1)及び(2)の賠償請求権が存在しないので、これらの権利行使に必要な費用ではないから、不法行為による損害ということはできない。

(4) 諸経費について

本件課税処分の取消訴訟に係る経費は、控訴人が、同訴訟を提起した時点において、当然その発生を予見することの可能であつたものであるから、その賠償請求権は、前記(3)と同じく、遅くとも控訴人が右訴訟を提起した日(昭和五二年七月一四日)から三年間の経過により時効消滅した。

なお、本件訴訟に係る諸経費は、前記(3)の第二段と同様である。

(三) 控訴人は、本件訴訟を提起する頃まで、奈良署長が本件課税処分時に認定した所得の計算根拠を確知することができなかつた旨主張する。

しかし、課税処分の実体面における適法性の有無は、所得総額の存否、却ち認定された所得が過大であるか否かにかかつているのであるから、本件課税処分において認定された所得の処分時における計算根拠そのものは、取消争訟の直接の対象となるものではない。

従つて、控訴人は、本件課税処分時の所得計算の内容の如何に拘らず、自らの資料により、本件課税処分を受けた時点において、認定された所得が過大であるか否かを確知することができた筈であつて、本件課税処分の取消訴訟において、奈良税務署長が本件課税処分時に認定した所得の計算根拠を明示したか否かは、本件損害賠償請求権の時効期間の起算点に影響するものではなく、いわんや被控訴人の時効援用の当否とは、何らの関係もないことである。

四  控訴人の反論

1  被控訴人の「控訴人が帳簿書類の提示に応ぜず、調査に協力しなかつた」との主張は争う。控訴人は全資料を開示すべく準備して待つていたのに、奈良署員はその場に加藤が居るからという理由で何の調査もしなかつたのであつて不可解という他はない。

加藤は調査の妨げとなる行為は一切とつていないし、とろうともしていない。民商事務局員の立会の必要性は強権的な税務行政における不当な税務調査を防ぐとともに、一般的には税務調査の公正を担保し、調査に協力して適正な課税を確保するためである。実際、資産税調査など現に記帳事務を行なつた民商事務局員の方が納税者よりよく事情を知つている場合があり、税務署側もその協力がなければ困るところである。税務署員には右立会を拒否する権利も理由なく、他方納税者は憲法上財産権を保障されており、これと密接に関連する税務調査において、それを妨害しない限り、誰を立会わせるかは全く自由である。

2  被控訴人は控訴人の仮名預金口座があつたと主張するが、うち南部銀行円泊市支店に指摘の預金口座は存在しない。仮に存在したとしても、控訴人の営業用に使用したことはない。また、天理農協の子供名義の通帳については、偶々、集金先の甲村信行(コウムラノブユキ)方の近くに天理農業の店舗があり、他の所用と会わせて立ち寄つたついでに入金したものである。従つて、右通帳を利用したのは、このとき一回限りである。

3  被控訴人は必要経費につき控訴人の申告額をそのまま採用したことに合理性が存すると主張するが争う。結局奈良署長がした本件処分の根拠は単に調査の結果収入が増加した、とするだけである。収入が増加すれば特段の事情がない限り経費(仕入額・雇人費など)も増加しているのが通常であるから、更正処分をなす前にはその点の調査が不可決である。

ことに、控訴人の営業内容はトムソン加工と言つて注文に応じて紙箱を製造することが大部分であり、加工賃が収入となる。売上をふやすには機械をふやすとともに、従業員を雇入れなければならない。収入の大部分は機械の償却と人件費に充当されることは、税の取立のプロとしての税務署に分からぬはずがない。

しかも国税不服審判所も認めるように(証甲第一一号証裁決書一五枚目中段)、昭和四六年から同四八年までの間、控訴人の事業形態、事業規模に著しい変動はなかつたのである。このことは、控訴人の帳簿を調べなくとも、何度も来ている税務署員に分からぬことはありえない。ことに、奈良税務署は、本件以前の昭和四七年一一月に昭和四六年度分についても修正申告をしており(証乙第一号証一枚目決算額欄の右欄に記載あり)、その際にも税務署員が控訴人方を訪れている。従つて、昭和四六、四七年の所得が同四八年になつて突然三~五倍に増大することはよほど特別な事情がない限りありえない。そして本件ではかかる特別な事情は存在しない。

税務当局が反面調査をするに当たつて、納税者の収入のみを反面調査し、知り得る経費関係について反面調査を怠ることは許されない。本件では控訴人の帳簿の調査をしなくとも(民商事務局の立会問題があるのでその点は別として)、控訴人の仕入先を税務署が知つていたことはそれまで青色申告をしていたこと、昭和四七年一一月の修正申告の際の税務調査には、民商事務局員は立会つていないこと、などにより明らかである。仮に知つていなくとも、税務署の調査能力をもつてすれば容易に判明しうることは言うまでもない。

4  被控訴人の主張2について

(一) 違法性の判断が総合的な価値判断であつたとしても、所得のないところに所得があるとした課税処分自体に国賠法上の違法性を認定しうるものである。

(二) 当該公務員に違法且つ不当な目的があることは、責任の軽重(故意・過失)の問題であつて、違法性を基礎ずけるものではない。また「課税要件事実の認定が重大かつ明白な誤認であつた」との点も過失の問題である。財産権を保障された国民に対し、公務員が課税処分をなすにあたつて、明白でない誤認や通常の誤認が許されるとする被控訴人の論理は到底とりえない。

本件は民商に対する支配介入(弾圧)という違法かつ不当な目的のため職権を濫用したケースであり、少くとも「明白かつ重大な」誤認があつたものである。

このことと調査(所得の認定ではない)に広い自由裁量がみとめられているかどうかとは別個に考えるべきである。所得の認定に当つては厳密な証拠に基づくことが当然要請されているのであつて、不服申立や訴訟手続が完備されているからといつて、その責任が軽くなるものではない。

(三) 先にも述べたとおり、奈良署長は、税務職員による控訴人の取引先及び銀行の反面調査によつて控訴人の申告額を上回る収入を把握した。そしてその収入額が全て控訴人の所得になると判断し(過失において即断し、または故意に断定し)、本件更正処分に至つた。前述のとおり、一般に収入を得るためにはなにがしかの経費を相伴うものであり、税務の専門家としての税務署長が、把握した収入に見合う経費の存在に全く思いを致さなかつたことは故意、でなければ重大な過失がある。ことに、税務署長もそれ以前の調査(民商事務局員が立会するかどうかでもめていない時期のもの)及び修正申告を出させた課程で十分分かつていたように、控訴人の営業の業態は、数台の機械を設置して職人を雇つて加工賃を稼ぐというもので、収入のかなりの部分が賃金として支出されるというものであつた。従つて、普通に考えれば新たに判明した収入から相当の賃金が出ているものと推察しうるのである。まして、前述のとおり経費の主張・立証責任は税務署長にあるのだから、従前の所得と数倍もかけ離れた認定をするからには(ことに昭和四八年分)、控訴人の事情に大きな変化があつたかどうかを含めて、慎重に検討すべきであつた。しかるに、奈良署長は逆に、何らの検討もせず、発見した新たな収入をそのまますべて控訴人の所得として更正処分を行うという信じられない暴挙に出たのである。

(四) なぜ本件の如き無茶苦茶な更正処分が行われたのか。その背景事情は、当時奈良税務署が奈良民商に対する全面的な破壊攻撃をかけていたさ中であり、その一環として故意になされたものであることは明らかである。因に、前記確定判決及び原判決も認めるように、現職の高級税務署員であつた親類筋に当たる堀川清蔵が、控訴人に対し民商からの脱会を強く勧告した。なぜ堀川は控訴人が民商に加入したことを知つたのか。しかも、当時控訴人は奈良民商に加入したばかりであり、堀川を含め誰にもそのことを告げたことはない。知つたとすれば当時、奈良民商に対する弾圧を強化していた奈良税務署長またはその部下職員から脱会工作を依頼されたとしか考えられないのである。

なお、申告書に「端数のある金額」を記載したからといつて、それが正しいものと認める根拠は全くない。また売上げ金額が増加した場合、専ら事業主や家族の稼働によることもあるというが本件ではかかる事実はない。控訴人家族中成人は、当時六五歳の母と妻だけであるが、母は病弱であり仕事はもちろん家事にも関与することがなかつたし、妻も右母と幼児をかかえ妊娠中で仕事に就く余裕はなかつた。また売上除外の発覚を告知された事実はない。

5  消滅時効について

(一) 消滅時効は完成していない。

国家賠償請求権の消滅時効は民法七二四条によることとなる。不法行為による損害賠償の請求権は被害者が損害及び加害者を知つた時から三年で消滅時効にかかる。本件において、控訴人は加害者を知ることができなかつた。更正処分をなしたものは形式的には奈良署長であるが、部内でいかなる手続、経過を経て本件処分に至つたか全く明らかではなかつた。

一般的に、誤つた更正処分であつても、それが常に国家賠償の対象となるものではない。これまで税務署長による所得税の更正処分が取消された事例は多数あるが、そのほとんどの場合、別に国家賠償請求がなされたという話は聞かない。本件の如きは異例のことである。誤つた更正処分であつても税務署側に更正処分に至る合理的な根拠ないし理由が見出だされるのが通例である。また納税者において誤つた処分との認識があつても更正処分取消訴訟において当該納税者が敗訴すれば、事実上国家賠償請求は無理である。従つて、納税者としては行政訴訟の帰趨を得て国家賠償請求を行うのが普通である。

本件では控訴人は、取消訴訟第一審において、奈良署長が、本件更正処分に至る経過や処分理由を明らかにすることを期待していた。しかるに結審間際になつても同署長から売上げ除外があつた分を収入に上乗せした、との理由以外に合理的な理由は示されなかつた。そこで第一審判決の言渡の前に本件国家賠償の訴を提起したものである。平林証言によれば、本件更正処分における事務レベルでの最終決定は同人がなした、というのである。その上、かなりの量のメモとか書類があつたという。控訴人はかかる事実をこれまで全く示されていない。右証言によつて初めて、本件更正処分の直接の責任者が平林万男であつたことが明らかになつたのである。

以上のとおり、本件で控訴人が加害者を知つたといえる期間は早くても行政処分の第一審の弁論終結時点であり、かかる認識が確定的になつたのは、本件更正処分を取消す行政訴訟の控訴審判決が昭和五八年六月二九日に言渡され、それが控訴人の勝訴として確定したときである。

(二) 信義則違反、権利の濫用

本件更正処分における故意又は過失に基づく控訴人の損害賠償に対し、被控訴人が消滅時効を援用することは信義則に違反し、権利の濫用であり、許されるべきでない。

時効制度は、永年継続した事実状態を是認して覆さないことが、社会秩序の安定のために至当であること、永年経過することによつて証拠が散逸すること及び権利の上に眠る者は保護に値しないことが、その存在理由であるといわれる。ところが本件においては、控訴人が損害を知りつつ被控訴人に対する賠償請求を怠つたとか、控訴人に損害賠償請求権がないものとしてその上に法律関係が重畳されてきたという事実は全くない。また被控訴人は昭和五二年から昭和五八年まで別件処分取消請求訴訟の実質上の被告、被控訴人として控訴人との間に間断なく訴訟を遂行してきたのであるから、証拠の散逸ということも生じえない。

右のとおり本件においては時効制度の存在理由に該当する事実は全くなく、従つて控訴人に国家賠償法上の請求権がありその立証が容易であるのに、これを行使する機会を閉ざすような不公平な結果を招く被控訴人の時効援用は信義則に反し、権利の濫用として許されないというべきである。

第三証拠関係

原・当審記録中証拠目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求原因1、2の事実、同3(一)の事実中本件各処分が控訴人の各年分の所得金額を過大に認定していたもの(以下「本件過大認定」という)であることは当事者間に争いがない。

二  本件各処分は本件過大認定の限度において所得税法上の違法処分であつたことは明らかである(この点は被控訴人の自認するところである)ところ、控訴人は、本件各処分が本件過大認定に至つたのは、請求原因3(二)記載のとおり根拠なくして見込課税をなした結果であつて、不正行為(国賠法一条)に当ると主張するので判明する。

1  先ず、本件過大認定を来たした原因につき検討する。

(一)  本件処分から取消訴訟の第二審判決に至る前記争いのない事実(請求原因2)に成立に争いのない甲第九四、第一〇二号証、乙第一ないし第三、第五号証を総合すると、本件各処分に係る各年分の収入、売上原価、経費各項目の控訴人の申告額、更正(本件各処分)額、取消訴訟における被告奈良署長、原告控訴人の両主張額、第二審判決額(以下それぞれ「甲告額」「更正額」「被告主張額」「原告主張額」「判決額」と呼称)はそれぞれ別表記載のとおりであることが認められる。

(二)  右によると収入金額については、取消訴訟において控訴人が自認した額(原告主張額)は各年分とも申告額及び更正額を上廻るものであるところ、四六、四七年分は被告主張額をそのまま認め、四八年分についても争いは僅かな額に止まつている。

そして、前掲甲第九四、一〇二号証と当審証人平林万男の証言、原当審における控訴人本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、右取消訴訟において収入金額が当事者間にほとんど一致をみたのは、控訴人において奈良署長がした具体的な反面調査の結果を争い得ないものとして事実上是認したことによるものと認められ、これと弁論の全趣旨を総合すれば、収入金額に関しては、取消訴訟における原告主張額、ひいてこれに満たない更正額は、客観的にもそれ自体としては過大認定となつていないものというべきである(なお、四八年分中争いのある部分は、沢井紙器分六九万五四七五円のうちの五〇〇〇円と小切手入金二万円とであるが、いずれも判決額は被告主張額を肯認している。)。

(三)  一万収入から控除すべき売上原価及び経費のうち、判決により更正額(申告額)が過少であつたと認められたものは、別表に示すとおり、(1)四六年分の接待交際費、消耗品費、減価償却費、給料賃金、支払利子、雑費、(2)四七年分の接待交際費、消耗品費、減価償却費、福利厚生費、給料賃金、支払利子、(3)四八年分の売上原価、租税公課、水道光熱費、通信費、接待交際費、修繕費、消耗品費、減価償却費、福利厚生費、給料賃金、支払利子、雑費である。このうち原、被告主張に争いが生じ判決認定に持ち込まれたものについて、判決(甲第九四号証)は(1)四六年分の(イ)接待交際費は四七、四八年分と対比して原告主張額を採用し、(ロ)消耗品費は、一部塚谷からの購入実額を含め四七、四八年分の消耗品費の収入金額に対する各割合から推して、(2)四七年分の(イ)接待交際費は証拠により同業者組合費二万四〇〇〇円、旅行会費一万円、広告費五〇〇〇円のほか、一ヶ月一万円を推認し、〈ロ〉消耗品費は証拠により及び四八年分とも対比して、(ハ)福利厚生費は証拠により、(3)四八年分の(イ)消耗品費は、年中の購入分から年末在庫を差引いたものと、四七年末の残存分中四八年中の消費となるべき部分を推計したものを合わせ、(ロ)給料賃金(但し争いのあるアルバイト雇傭費五五万円部分)は証拠により原告主張どおりに、それぞれ認定又は推計して別表判決額どおりに認定(但し、四八年分修繕費は証拠による認定及び推計の結果、被告主張額に達しなかつたため、被告主張額を採用)された。

(四)  以上によれば、本件過大認定の原因が前記判決により修正された売上原価(四八年分)及び各経費について過少に査定したことによるところ、その原因がこれらの費目につき、奈良署長がいずれも申告額をそのまま採用したことによるものであることは、被控訴人の自認するところである。

2  そこで、右奈良署長の行為が前記収入金額の把握をも含め国賠法一条に該当する不法行為に当たる否かを検討する。

(一)  被控訴人はこの点について事実欄三2のとおり述べて、課税処分が国賠法上も違法(公務員の職務上の法的義務違反)といえるためには、納税者に対し誤認による損害を甘受させることが著しく不当と認められる様な重大な誤認がある場合であつて、且つ課税要件の欠が処分時の資料からみて、何人の判断によつても一見して明瞭に不合理であるほど明白な場合でなければならないところ、本件各処分に至る経緯(前同1(一))に微し、又、所得の過少申告に際しては収入金額を除外するが、経費はむしろ過大に申告されることが普通であることに照らし本件各処分において売上の増加を把握し乍ら経費につき申告額そのままを採用したことに違法性はないと主張する。

当裁判所も課税処分において課税評価額の認定に過誤があつたからといつて、その過誤あることをもつて、直ちに国賠法上も担当公務員に故意、過失があつて違法な処分となるものではなく、担当職員が資料の収集及びこれに基つく認定、判断において、職務上通常尽すべき注意義務を尽さず、過大認定となることを予見し乍ら、又は予見し得べかりしに拘らず、漫然と処分をなした場合に始めて国賠法一条の不法行為が成立するものと解する。

従つて、処分が限られた資料の下においてなされた結果、客観的に過誤を来たした場合には、処分当時、右限られた資料に基づいて処分するにつき止むを得ない事情があるときは、当該資料から通常職務担当者として何人も到達し得る判断に基づく限り、故意、過失ありとはいえないが、当該資料からも当然考慮すべき事実を安易に見逃してなされたときは、国賠法上も過失があるものといわなければならない。

以下この前提に立つて判断する。

(二)  成立に争いのない乙第一〇号証と当審証人平林万男の証言によれば、本件処分に至る経緯として被控訴人主張(事実欄三)1(一)の事実(但しその〈9〉のうち「それらを提示せず」との部分を除く)が認められる。原審証人加藤宣之の証言、原・当審における控訴人本人尋問の結果中これに反する部分は措信できない。

右事実の下において、控訴人が民商の立会によらなければ調査に協力できない態度を貴き通したことが、帳簿書類の不提出と評価できるかどうかはしばらく措き(もつとも本件において青色申告の承認は取消済みであるが)、奈良署長は、そのため控訴人の帳簿に基づく調査をあきらめ、自らした反面調査により、申告額を上廻る売上(収入)を把握したことに基づき、本件各年分の所得額を更正すべき理由があると判断して、更正処分手続に着手したことは相当であつて、その限りにおいて何ら違法はない。控訴人は本件処分の動機がいわゆる「民商つぶし」にあると強調するけれども、税務署長は申告額が調査したところと異るときは、その調査により更正決定をなし得るのであつて(国税通則法二四条)、所得税に関する更正処分が違法であり、納税者の財産権を侵害する違法な処分であつたかどうかは、実に所得の認定に違法な過誤があつたかどうかにつきるのであつて(控訴人も右動機を云々しながらも、自ら[昭和六二年二月三日付準備書面]、本件各処分は過大認定であることによつて違法であると主張している)、前認定のとおり、現に調査により簿外収入が把握された以上(しかも、その実額につき取消訴訟において控訴人はほとんどこれを争わなかつたこと前認定のとおりである)、これに基づき行なわれた更正処分の適否は、その相手方が民商会員であると否とにより何ら影響を受けるものではない。

(三)  次に本件各処分における収入金額の査定は前認定のとおり反面調査を遂げた結果把握したものである(しかも、取消訴訟でもその額を控訴人がほとんど争わなかつたこと前記のとおり)から、右収入の把握に関する限り見込課税とはいえないが、売上原価及び経費については、帳簿による調査をあきらめ、申告額そのままを採用した結果本件過大認定の過誤を招いたことは前認定のとおりである。

しかし乍ら、前認定の事情(事実欄三被控訴人の主張1(一))の下においては、奈良署長が本件各処分に当り控訴人の帳簿書類の調査を欠いて次善の手段である申告書の記載を依りどころとしようとしたことには止むを得ないものがあつたと認められる。確かに、前認定の事情の下においても、奈良署長においてあくまでも帳簿等の調査を尽すべきものとすれば、控訴人の希望する加藤の立ち会いを許し帳簿等の閲読、謄写をすることによつて帳簿の内容を把握する途が無かつた訳ではない。しかし、控訴人が調査に民商関係者の立ち会いを求める趣旨が、ただ税務職員がその様に帳簿の閲読、謄写をするのをじつと見ていることに尽きるものでなく、調査の過程で発せられるであろう税務職員の求説明等に対し、本人に代り又はこれを補つて応答せしめようとするにあることは、控訴人の本訴の主張(事実欄四控訴人の反論1)に微しても明らかであり、税務職員側でも調査をする以上、単に閲読、謄写に止まらず、その記載につき必要な説明を求め、疑問点を訊すのでなければ、実質的に調査を尽すことにならないことも明らかである。されば、被控訴人主張のとおりもともと税務調査における質問検査の範囲、程度、時期、場所に法律上特段の定めはなく、税務職員の合理的選択に委ねられているのであるから、本件において調査に当つた平林らが、右法律上立会権が保障されているわけでもない第三者を立ち合わせることは、守秘義務や税理士法の規定との関係から認められないものとしてその立ち会い要求を拒否し、控訴人がこれに応じないと見て帳簿の前記形式的調査をも放棄したことにも、その職務権限にもとる著しい不当性は見出せない。これに反する控訴人の主張は理由がない。

(四)  しかし、更正処分は可能な限り実額を把握すべきものであり、且つその認定根拠の立証責任は処分庁たる税務署長に存すのであるから、右帳簿等の調査に依らないことが許される場合でも、より実額に近い数値が把握できる合理的方法が選択されなければならず、資料の収集に納税者の協力が得られなかつた場合といえども、右合理的推計の努力を捨てることは許されず、その方法によれば過大認定となることを予想し若しくは予想すべかりしに拘らず、漫然とこれを選択したことにより著しく過大な認定となつた場合には、それが懲罰的意図を含むと否とに拘らず、国賠法上は注意義務違反による違法な処分となるものといわなければならない。

これを本件についてみるに、前示更正額における認定が過少と判断されたもののうち、売上原価(四八年分)、消耗品費、給料賃金を除くその余の費目については、必ずしも売上の増加がその各経費目の増加を伴うことが自明であるとまではいえず、又それらの費目について申告額に故意に過少申告をすることも通常考えられないから、それらについて申告額をそのまま採用したことについては、前記帳簿等の調査を遂げないことが許され得る情況下では、著しく不合理な認定方法とはいえず、これによる右各経費目の過少査定が本件過大認定に反映した部分は、末だ奈良署長の過失に基づくものとはいえない。因みに右各費目中減価償却費、接待交際費および福利厚生費を除いては、その過少差額も著しいものとはいえず、又、右各費目について必ずしも微差とはいえないものがあるけれども、同費目の性質上、前記判断を異にするものではない。

次に前示売上原価、消耗品、人件費については通常売上の増加に伴い、それらの出費が増加していることが考えられるので即ち、右売上原価については、その申告額は、四六年分が四七三万円余の収入に対し四五万円余、四七年分が四五二万円余の収入に対し五三万円余であるのに対し四八年分は五一六万円余の収入に対し二一万円と前二年分に比べかえつてその比が減少しているのは理解に苦しむところであり、右それ自体既に修正を要すると思われる数値をそのまま採用すれば実額把握の理念に程遠いものとなることは容易に気付き得たものといわなければならず、また消耗品費、人件費についても前示のとおり、三倍の売上が把握された以上、その増加が目込まれることは、むしろ税務職員の職務経験則上容易に想到すべき事実であるといわなければならない。被控訴人は人件費については家内労働であつて、その努力で生産性を向上でき得ることも考えられると主張するが、控訴人の業態についての具体的調査結果に基づかない推論に過ぎず、むしろ控訴人の業種(賃加工、手間賃による製箱業)では売上の増加の裏には職人の手間賃の増加が考えられるから、右主張は売上が二倍にも増加する場合においては失当とせざるを得ない。

してみれば、本件処分(四八年分)においても、先ず売上原価を認定売上一〇六五万六六〇四円に対し、前二年の収入に対する売上原価の平均比率約〇・一〇を乗じて一〇六万五六六〇円と推計し(さすれば判決額のそれとほぼ等しいものとなり得た。)、これに消耗品費、給料賃金の合計二八〇万六二八〇円も単純に二倍にスライドさせて五六〇一万二五六〇円となしておけば合計で三六五万九六四四円(右売上原価推計額一〇六万五六六〇円と同甲告額二一万二三〇六円の差額八五万三三六四円に、消耗品費、給料賃金の推計増加額二八〇万六二八〇円を加えたもの)の控除増となつており、それは過大認定額四八九万一六一九円の全額には及ばないにしても、その過大限度を相当程度圧縮し得たと考えられないでもない。このように見てみると、四八年分において、売上原価、消耗品費、給料賃金の項において、売上の二倍の増加に基づき更正処分をなすに拘らず、申告額そのままを採用したことによつて右各費目の過少認定となり、それが本件過大認定に反映した部分は、その処分に当つた担当職員が職務上通常尽すべき義務に著るしく違反した違法な処分であつたとみなければならない。

しかし、四六、四七年分については、収入における申告額対更正額の増加率は四六年分は約一・二一五倍、四七年度は約一・一四三倍に過ぎないのであるから、売上原価、消耗品費、給料賃金にしてもその比例的増額推計をなさなかつたことは、末だ職務上の注意義務に著しく違反し故意に不合理な方法を選択したものと評価するに足りない(因みに仮に右増額修正を行つていても、四六年分については右各費目の合計二七〇万一二一〇円の〇・二一五倍である五八万〇七六〇円、四七年分については同二九〇万五九五一円の〇・一四三倍である四一万五五五〇円づつの控除額増に止まつたところ、右両年分とも取消訴訟において認められた収入は更正額をはるかに上廻る金額であつたほか、前記その余の費目の実額認定ないしは推計によつて判決額が認定されたのであるから、結果的に両年度の過大認定に及ぼした右各費目の比例増額推計をなさなかつたことによる影響はさして大きいものではなかつた。)。

(五)  以上の次第であるから、本件処分中四八年分処分については、本件過大認定の違法に関し、その起因の部に奈良署長の過失が認められる。

3  右奈良署長の処分が公権力の行使に当る国の公務員の行為にあたることは明らかであるから、被控訴人は、右違法処分により控訴人の被つた損害を賠償すべき責任を有する。

三  控訴人主張の損害について

1  慰藉料 金一〇万円

控訴人は取消訴訟の判決に至るまでの期間、本件処分によつて過大な納税義務を負担せしめられた精神的衝撃、苦痛は甚大であると主張し、弁論の全趣旨によれば、昭和四八年分の処分に本件過大認定が存したため、本件取消訴訟を提起して是正を求めなければならなかつたこと、右審理に一、二審を通じ六年間を要し、処分時点から八年三月にして漸く是正されたことが認められ、これにより控訴人が相当の精神的苦痛を蒙つたことは推認できるけれども、もともと本件更正処分は、控訴人がその各年分の所得(とくに収入)を過少に申告していたことに端を発したものであるところ、前掲甲第九七、第一〇二号証と弁論の全趣旨によれば、取消訴訟が長期化したのは、本件過大認定の是正のための審理が複雑困難であつたこともさることながら、むしろ控訴人がその主張の主力を本件処分が「民主商工会の破壊及び控訴人に対する同会脱会工作を目的とする」ものであるが故に、違法な処分であるとする点に注いだことによつたためでもあつた(そして、それはまさに、前記控訴人が本件処分を違法とすることにおいては事情であると述べているところの事柄である)が、取消訴訟においても右主張は排斥されたこと、取消訴訟中当裁判所が国賠法上違法な処分と認定した四八年分処分の是正のために費された争訟努力の比重及び前記のように四八年分の本件過大認定に及ぼした奈良署長の過誤のうち国賠法上の過失と評価できる部分はその一部に過ぎないことを併せ考えれば、控訴人が被控訴人に対し、右精神的苦痛を慰藉するものとして請求し得る損害の額は金一〇万円と見積るのが相当である。

2  得意先喪失による営業損害 認められない。

本件において控訴人も本件処分が過大認定であることによつて不法行為を構成すると主張し、当裁判所もまさにその様に考える(但し故意過失の認定要件はさらに加わるが)ものであるところ控訴人が主張する損害は、本件処分が過大認定であつたこととは何ら因果関係がない。即ち本件処分はまさしく過大認定であつたことによつて違法だつたのであり、更正処分それ自体は、控訴人の各年分の所得申告額が過少になされていたことにより免れなかつたのであるから、控訴人が更正処分それ自体によつて営業上の信用を毀損されたとしても、それは本件過大認定の違法と因果関係を有しないものというべきである。なお控訴人は奈良署長が本件処分のため得意先の反面調査をしたことをも問題としているけれども、その点も本件過大認定の過誤を犯したこととの因果関係が認められないばかりか、前認定の経緯の下に右反面調査に及んだことに違法性はないものと認められる。

3  弁護士費用及び諸費用 金一七万五〇〇〇円

原審における控訴人本人尋問の結果と弁論の全趣旨を総合すれば、控訴人が弁護士費用として取消訴訟につき四〇万円、本訴につき三〇万円の支払の約束をし、又諸費用として両者で主張の程度の出費ないしは日当相当の損失(合計五五万円)を被つた事実は推認できる。そして右のうち取消訴訟につき生じたものは本件処分と相当因果関係を有するものと認められるが、いずれも前1に認定及び判断したところの理由によつて、その全部について四八年分の処分の違法との間の因果関係を肯認し得ず、右因果関係を肯認できる部分は弁護士費用金四〇万円と諸経費金三〇万円(前認定のうち、取消訴訟につき生じたものが右金額を超えることを立証できる証拠はなく、この限度に止まるものと推認する)との合計の二割五分である金一七万五〇〇〇円を超えるものではないと認める。

次に前認定の費用中本訴につき生じた部分は、前示のとおり本訴において不法行為が成立すると認定されたのは本件処分中四八年分についてのみであること、本訴における被控訴人の主張立証に照らし被控訴人の不当抗争性が著しいとまではいえないことなど諸般の事情と前示認容額とを勘案し、弁護士費用中一〇万円を被控訴人の負担とし、その余は失当と判断する。

四  消滅時効の抗弁について

被控訴人は、前認定の損害についても、慰藉料については昭和五〇年三月一日頃、弁護士費用諸経費については取消訴訟の提起の日に各損害の発生及び加害者を知り得たものであるから、民法七二四条の消滅時効が完成していると主張するが、本件の如く、違法な行政処分の是正を目的とした行政訴訟の提起遂行に要した費用(当該訴訟の弁護士費用を含む)の負担を損害として請求する場合には、その被害者は、右行政訴訟において当該行政処分の違法であることが判決によつて認定されることによつて、右損害の程度及びそれが違法な損害であることを確定的に知ることとなるから、その時点である本件においては取消訴訟の第二審の判決言渡の日を消滅時効の起算日となすべきである。被控訴人引用の最高裁判所の判例は、不法行為に基づく損害賠償請求それ自体における弁護士費用を当該不法行為に基づく損害として請求する場合の事案(本件でいえば、本訴のために要する弁護士費用の請求にかかる部分)であつて、本件に適切でない。

本訴は、右第二審判決言渡の日(昭和五八年六月二九日)以前に提起されているから前認定の各損害については消滅時効は完成しない。

五  以上の次第であるから控訴人の本訴請求は金三七万五〇〇〇円とこれに対する不法行為の日である昭和五〇年三月一日から完済に至るまで民法所定遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきものである。よつてこれと異る原判決は一部不当であつて、本件控訴は一部理由があるので、民訴法三八五条、九六条、九二条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 杉本昭一 裁判官 三谷博司)

別紙(一)

〈省略〉

別紙(二)

主文

一 原判決を次のとおり変更する。

二 1 被控訴人が控訴人の昭和四六年分、昭和四七年分及び昭和四八年分の所得税につき、昭和五〇年三月一日付でなした昭和四六年分総所得額を金二一七万六五四一円(異議決定により金一九二万一四〇二円、審査請求裁決により金一五四万二六〇〇円)、昭和四七年分総所得額を金一三七万八五六五円(異議決定により金一二七万八三八四円)及び昭和四八年総所得金額を金六四六万四三二〇円(異議決定により金六一六万九一五五円、審査請求裁決により金二〇五万一二七三円)とした更正処分のうち、昭和四六年分につき金一二八万八九〇九円、昭和四七年分につき金八六万三五四七円、昭和四八年分につき金一五七万四七〇一円をそれぞれ超える部分及びこれらに対応する加算税の各賦課処分をいずれも取消す。

2 控訴人のその余の請求を棄却する。

三 訴訟費用は第一・二審を通じこれを三分し、その二を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。

(別表)

〈省略〉

(注) 〈4〉経費欄の「-」記載欄は、いずれもその左欄と同一金額であることを示すものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例